何やら一人で勝手に自己完結してしまいました。 あれよこれよと一人で思慮を巡らせ結論に至ったようです。
話しかけた相手と全くコミュニケーションをとっていません。投げっぱなしです。それに、端から見ていると、一人ぶつくさとくっちゃべってるじいさん姿は、見方によってはかなりシュールです。恐怖を感じるというより心配になってきてしまいます。
しかも、襲撃時に
相手が何処の誰だかあまり確信を得ていないのに突然襲い掛かってくるとはやってくれます。どうせ、間違った相手でも「まぁいいか」的なテキトーさで済ませてしまいそうです。流石、京の妖様です。やることなすことが上から目線です。でも、一番上目線なのは、ブロガーの視点です。ブログは主観で出来ているので当然といえば当然です。

鬼童丸の
色々なやばさを肌で感じ取ったリクオ。何とかこの危機を脱するためにイタクたちとの修行の事を思い出す。
「妖怪の特徴を具体的に出す事が畏である」とイタクは述べていますが、ぬらりひょんという妖怪の特徴を個人的に捉えようとすると…

正直、
<人から相手にされない>、<存在自体が空気>という事しか思いつかない。
個人的に何か間違っているとは思っていますが、ようはこれは言い方の問題であって
「当たらずとも遠からず」のような気もしないでもありません。流石、酷く抽象的な妖怪として語られているぬらりひょんです。イタクがいうように「具体的」ではありません。

イタクに「ふざけるなよ」と
存在自体を否定されたぬらりひょんの孫であるリクオですが、何やら掴んだようです。
<鏡花水月>…玉章との戦いにおいて発動した「畏」ですが、これは要約すると「水面に浮かぶ月のように実体のない幻になる」技なのかな?かな?
はて?学問の神様といわれる菅原道真の詩でそんなことが書いてあったような、なかったような…。
とりあえず現時点で解っている事は、
リクオが18Pからようやく他者とコミュニケーションが取れたということだけだ。 すげぇ。回想や心の中の声を除くと全く話してなかったぞこいつ。

ドラマCDねぇ…。こりゃアニメ化もありえるな。
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