
ん~何度読んでも腑に落ちない。「この時代の聖闘士はたった2人を残して全滅」という結果がわかりきっている以上、それぞれ死に場所というのが用意されているわけで、青銅という立場ながらもその生き様や死が描かれるだけましかと思いますが、なんかしっくりこないし、納得がいかない部分がある。
それもこれも船の材料である神木…つまり神が「自分を操るのにふさわしいかどうか」ということをユンカースたちに試してくるわけですが、その試練に人がばたばたと倒れていくことが気に食わないんだろうなぁ…。そう感じたのも、これは一種の「神の傲慢さ」ともとれるし、進んで神に身をささげる殉教者というか、人柱というか、生贄というか…自己犠牲論の範疇を越えた何かを感じて不快感を抱いたからかと。
『「仲間との絆」というのは、「仲間の死を乗り越えて」獲得できる…つまり再確認できるものである』というように解釈できるところも気に食わないんだろうなぁ…。
何かの犠牲の上で物事は成り立つのは当然ですが、これはどちらかというと…ねぇ…。
時間が経ってまた読めば解釈が変わってくるでしょうけど、今読み返す気にはなれないなぁ。
スポンサーサイト
« これって結局何なんだろ? l ホーム l ハヤテ215話 地下水路ってもっとじめじめしていて見たくもないナマモノがうじゃうじゃ生息しているイメージしかありません »
今回の「ワケ分かんねぇ!」って台詞が彼のダチの為に身体を張れるって信条に矛盾している気がするので…
>今週の耶人って、船がつくり出した幻影ってオチはありませんかね
流石にそれは深読みしすぎかと。
>今回の「ワケ分かんねぇ!」って台詞が彼のダチの為に>身体を張れるって信条に矛盾している気がするので
耶人自身が見ていて耐えられなくなったからこそ出た言葉だと私は感じました。目の前で仲間が進んで身体を張る姿を、言い方はちょっと悪いですが「むざむざ命を投げ出している」と耶人には見て取れたと。心意気で「身体(命)を張る」のと、実際に「身体(命)を張る」のでは、程度は全く違いますから。
どちらにせよ、「身体(命)を張る」ということに関して、今回は彼の許容できる範疇を越えたのかもしれませんね。