あ、この作品ではダブルゼータの歴史が否定されてない。 というのが、読んでいて一番思ったこと。劇場版Zのラストにてダブルゼータが否定されたような描写になていましたが、一度創られてしまった作品はそうそう消えるものではないさ…。といいつつも、正式に「あれは無しね」となった『ターミネーター3』という作品がありますが、それはそれでいと悲し。結構好きだったんですけどね。「例え逃れられなかった運命だとしても抗い続けろ」みたいなことが読み取れましたし。
あれはあれでよかったと思うんだけどな~。
人類が宇宙に上がり、アースノイドに虐げられてきたからこそ、スペースノイドは新たな信仰により縋らなければならなかった。そんなときに彼にとって新たな信仰となったのがジオニズム。だが、その真の意味は時の独裁者に利用され、歪められた。自分たちこそが新たな人類の姿であり、優良種であると。
人は神を信仰する。しかし、人は神という外面的な存在を信じているのではなく、神は内にあり‐つまり神を自身に内面化しているに過ぎない。だからこそ、信仰の内容や解釈が人それぞれによって違うし、全ての人類に共通する絶対の不文律が存在しないのだ。己の中に自分だけの神を作り出すからだ。
神を自身に内面化することによって、自身の行動に正当性を持たせる。それは「正義」という免罪符の寄与。それが「事実」かどうかが重要なのではない。人が信じたか信じなかったかが重要なのである。人が信じればそれは「事実」となり、人々の信仰となり、支持を得るのである。だからこそ、コロニー落しという大虐殺にも正当性を持てるのだ。何故ならば、信じるべき神-「正義」という免罪符を持っているのだから。
マリーダ・クルスという女性は、信仰を外面に求めた。それは彼女が先天的に作られた強化人間であり、マスターに精神的に依存するプル・シリーズの生き残りだということもあるが、誰かに依存するという点においては『普通』の人々と変わらない。身近にいる誰かを内面化する作業は誰もがすること。それが、恋愛対象であったり、尊敬する人物であったりとその有様が多様であるだけ。そう考えると、親衛隊のアンジェロもフル・フロンタルを内面化しているといえるだろう。
信仰の為に戦い続けるマリーダに終止符を打とうとするバナージ。はたしてそれがこれからの彼女のためになるのだろうか。
しかし、ユニコーンのデストロイモードは凶悪っすね~。ガンダムのパイロット=ニュータイプの代名詞でありながら、そのニュータイプを否定し、殲滅するために造られたなんて。こんなアンチテーゼを提示してくれるなんて思いもよりませんでしたよ。
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