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「本当に酷いのは誰でしょうね?」の続き

 本当に酷いのは誰でしょうね?という記事の続き。キヨさんやハラディーさんのコメントを見て、「いじめ」とリンクさせて考えられたことにちょっと驚き。本人にとってはそんなつもりはなかったので意外や意外でございます。


 いい機会ですので、社会学をやっている人が「いじめ問題」をどう見ているのかを語ってみたいと思います。ここで「いじめ」ではなく「いじめ問題」といったのは、「いじめ」という行為そのものを語るわけではありません。「いじめ問題」がどのように語られるか、または扱われているのかを見ていくわけです。

 何故ならば社会学では行為の良し悪しを判断することがないからです。


 それと、「いじめ問題」をガチで語りだしたら卒論一本出来上がってしまう量になりますし、それこそ本が一冊書けてしまうので大分簡略化していますのでご了承ください。

以上の諸注意をよく読んで理解してから読み進めてください。でないと誤解しかねませんし、内容によってはご不快な思いをすることになりかねません。

 それでは、今度はゴフマニアとしてではなく社会学で主流な機能主義に頭を切り替えてお話してみましょう。



1.「いじめ問題」は周期的に取り上げられる問題である


 一年前が最も「いじめ」を取り上げられていたので記憶に新しいものですが、実は「いじめ問題」は周期的に取り上げられています。だいたいこれが10~15年周期で社会問題として取り上げられて新聞、テレビ、雑誌や政治、教育、ありとあらゆるところで「いじめ」に関する実態調査や、対策などが話されます。

 ではどういったことが語られているかというと…実は中身は同じです。


 言説を見てみると、「先生と生徒の信頼関係が~」とか、「凶悪化~」とか、「コミュニケーションが不足して~」とか何処かで聞いたことがある謳い文句ばかりです。少年犯罪で語られる常等文句と大分かぶる部分があります。


 もちろんその周期的に現れる「いじめ問題」には特徴といえるものがありますが、基本は変わらないんですよ。CMやったりとか、ドキュメンタリーを制作したりとか。12年前くらいに「いじめ問題」が取り上げられた同時期には、『週刊少年ジャンプ』にて「いじめ」を題材とした(確か読者投稿もあったような)『元気やでっ』が短期連載して話題となったときもありました。


 何時の時代も「いじめ」というのは存在しているものであるし、職場でもありますし、教師間での「いじめ」も存在します(実は教師間のいじめはかなりタブー視されています)。集団を形成する生き物にはほぼ「いじめ」という行為は存在しているのです。


 では、あたかも「いじめ」が増えたかのように感じてしまう人が多いのは何故なのでしょうか?よく例として「マスコミが大きく取り上げている」ということが一因として取り上げられますが、それだけではないと考えています。


 私の中で一つの仮説としてあるのは、「いじめ問題の周期」を体験したことがない人が「いじめ」が増えたと感じているだけなのではないかということが上げられます。


 その根拠としては、若い人たち(十代~二十代前半)の言説で「最近「いじめ」が増えている」といったのが特に目立つからです。正確に言えば、「いじめ問題の周期」を体験していたが、そのとき(幼稚園生や小学生)はそれが何であるか判らなかったからに他ならないのではないのでしょうか。ですから、「いじめ問題」で語られる言説が目新しく感じてしまうだけなのではないかと捉えています。


 「周期と年齢が合わないじゃないか」といわれそうですが、それは上記で上げたとおりです。もっと詳しく述べてみると、小学校時代などで真剣にニュースや新聞言説を聞いたり読んだり、真面目に論じていたのか思い返してみてください。「いじめ問題」を体験はしていたと思いますが、それがどのように語られていたのかまで真剣に取り組んでいた人はいないと思います。むしろ小学生などでそんな人がいたら怖いです。




以上が、「「いじめ」が増えた」と感じてしまう一つの見方です。



2.では、「いじめ」は本当に増えたのか


 これが一番やっかいな問題。増加したともいえるし、全く変わっていないともいえます。
「え、でもこれだけいじめが増加したといわれてるのに何でそんなあやふやなこと言うの?」と思われることでしょう。

 確かに、文部科学省が行っている「いじめの実態調査」によってある程度は実態が浮き彫りになっているわけですが、一概にはどうともいえないんですよ。そもそも「増加している」と考えるのは、比較する数値があるからですよね。

 では、仮にその比較する年度の数値の取り方が変わっていたとすればどうなるでしょう。


 例えば昭和60年から「いじめ発生件数」調査が始まり、そこから減少の傾向にありますが、前年度(平成5年度)に比べて平成6年度の「いじめ発生件数」が約3倍ほど増加しています。ちょうど「いじめ問題の周期」関わっているかな~くらいなときですが、実はここで調査方法が変わっています。今まで調査が行われていなかった特殊教育諸学校(盲学校、ろう学校、養護学校など)が含まれるようになったのもこのころからです。調査方法が変わった&母数が増えた(あまり母数に影響はないと思いますが)ということで、それ以前の調査結果と単純比較ができなくなりました。


 実は、ここ数年間の間にも「いじめの発生件数」を単純比較できない要素が盛り込まれました。それは、2007年度の調査前に文部科学省が「いじめ」の定義を見直したということです。「いじめ」の定義が変わったということで、今まで「いじめ」とカテゴリーされなかったことまで「いじめ」として扱われるようになりました。ネットによる誹謗中傷もこのときから含まれるようになりました。そりゃ統計上「いじめ」の数値が増えるのは当然だわな。だって今まで「いじめ」の定義から外れていたものがカウントされるようになったんですもの。


 このような統計の見方の問題も絡んでくるので、残念ながら一概には「増加した」とは言えないのです。それに所詮統計は平均値を見るためのものですから全体像を浮き彫りにするなんてことはできません。データを過信しすぎると痛い目にあうものです。学生時代何度かそんな目にあいました。まさかね~根拠として出したデータが、その根拠を根底から崩すツールになるとは予想だにしませんでしたよ…。



3.「いじめ問題」をどう捉えていますか

 新聞の社説などで「いじめ問題」について語られることがあります。皆さんも一度は目を通していることかと思いますし、テレビなどで散々見ているはずです。「いじめ」という行為がなされたとき、「いじめられた」側を「被害者」、「いじめた」側を「加害者」として扱っています。そこまではいいんですが、さて問題です。


 「いじめ」が語られているとき、誰に「責任」が帰属しているのでしょうか?

 簡単に言えば、「誰に責任があるのかと言われるのでしょうか?」ということ。


 「加害者」に「責任」が帰属するはずですが、何故か「いじめ」が起きたクラス担当の先生だったり、その学校の校長先生だったり、その地区の教育委員会だったりしますよね。大抵の場合、管理能力が問われます。


 では、何故このように「いじめた」人に責任が問われずに、大概の場合、「身近な大人」が攻め立てられるのでしょうか。その一つの答えとしては、「いじめ」を「犯罪」として見なしていないというのがあります。「いじめ」の内容を刑事罰でみると、「窃盗」、「暴行」、「恐喝」などなど、どう見ても「軽犯罪」ですよね。相手を「自殺」まで追い込んだのなら立派な「重犯罪」ですよ?


 なぜ、「いじめ」を「犯罪」であり、「刑事罰」であると見なさないのか。それはひとえに例え「加害者」であっても「子ども」であるがゆえに「守るべき者」であるという考えもありますが、最大の原因は「いじめ」がおこっている現場が学校であるために、「いじめ」は「学校の問題」であると見なしているからです。


 そもそも教育界の本音としては、「教育」という現場に司法や行政が介入して欲しくないという事情がありますし、うかつに司法や行政が介入できないんですよ。そりゃ「教育は素晴らしいものである」と信じてやまない人たちにとっては、自分の庭に司法や行政が入り込むのを嫌いますよ。それで無くとも、もともと教育界では政治が介入するのを極端に嫌いますから。ここらへんのことを詳しく書くと長くなるので省略いたします。内容がずれてきますし…。



4.社会学での本音

 「犯罪なんて無くなるわけない」というのが社会学の考え方。何故なら人や社会が「犯罪」を「犯罪」としてみているからです。逆に言えば、人や社会が「犯罪」と見なさなければ「犯罪」は「犯罪」ではないんですよ。


 そもそも社会学において「犯罪」は社会を維持するための「必要悪」としてとらえています。何故、社会学は「犯罪」を「必要悪」としているのかというと、一つの理由としてあげられるのは簡単に言えばガス抜きです。


 それと、「犯罪」をなくそうと取締りを厳しくしていけば、グレーゾーン(黒か白かハッキリしないもの)だった行為(信号無視とか)や、今まで「犯罪」とは見なされていなかった行為まで取り締まられていくこともありえますし、「犯罪」の取締りを厳しくしたら余計に「「犯罪」が増えた」なんてこともあります。禁酒法の事例の側面としてありますよね。「お酒」が「犯罪」の原因だとして取り締まったら、余計に「犯罪」が増えてしまったなんてことになりました。


 それに、いままで「見えていた犯罪」が「見えない犯罪」として地下に潜ってしまい、取締りが困難な状況となることもあります。だからこそ、目に付きやすく、かつコントロール下に置きやすいところに「犯罪」は「必要悪」として位置されていることになるんですよ。



 さてさて、この「犯罪」というところを「いじめ」と置き換えて読んでみて下さい。すると…あ~怖い。こんなこと発言したり書いたりすると、もの凄い反感買いますよね。立場ある人なら失言として退職&世間からものすごいバッシングを受けます。下手こいたらここも炎上&閉鎖なんてことも十分予測できます。実際、私も相当数の人を敵に回しました。でもこれが社会学での一つの見方なんですよ~。



 さて、ここで皆さんに最後の疑問を投げかけます。それは…



 なぜ、「いじめ」という行為が子どもたち固有の問題であるかのように語られるのでしょうか?


 最近ようやく大人の「いじめ問題」が出てくるようになりましたが、それでもまだ少ないです。なぜ子どもたちだけが対象なのでしょうか?職場の同僚からいじめられて退職した、精神疾患を患った、あげ句の果てには自殺してしまった人たちだっているのに?

 私達は、「いじめ問題」を語っているようで、実は「子どもの問題」を語っているだけなのかもしれませんね。


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コメント
礼儀を知らない⇒相手と距離が取れない人が増えた。
「いじめる」「いじめられる」双方が同様の人種なのではなかろうか。
2008/06/22(日) 00:03 | URL | espoir-ami #-[ コメントの編集]
>espoir-amiさん

お元気そうで何よりです。

>礼儀を知らない⇒相手と距離が取れない人が増えた。
>「いじめる」「いじめられる」双方が同様の人種なのではなかろうか。


確かにその側面もあるとは考えられますが、ここでは「いじめ」そのものに言及するつもりはないのでコメントは控えさせていただきます。すみません…。



2008/06/22(日) 19:44 | URL | 戒斗 #-[ コメントの編集]
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Author:戒斗
 オタクでも、武道や学問、スポーツが好きでもいいんじゃな~い。と考えてるとある商社の営業マン。今でもひっそりと合気道に打ち込む日々であります。

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