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2007-11-02 Fri 01:04
MOON CHRONICLEさんで見かけたこの記事(元ソースは駄文にゅうすさん)なんですが、セクシャリティの社会学でも結構出てくるし、見るたびに謎なのでこの記事を使って取り上げてみようかと。
それは「わいせつ」のこの定義。判例で出てしまったものですが、こうあります。 「いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反することとする。」 「普通人」っていったい誰のことを指しているんでしょうね?? 社会学では、対概念を持ってきて論理展開すること常套手段としていますが、この場合の対概念ってなんだろうということも毎回思ってしまうわけです。 対概念とは、例えば「正義と悪」、「社会と個人」などの相反する概念や言葉、考えなどを表しますが、「普通人」と言われたら何を指しているのかよくわからんものなのです。また、何をもって「普通人」と定義しているのか定かでありません。 これ、不思議でしょうがないんですけどね。とある先生に聞いてみたところ、「俺もわかんねぇ。」と言われたのをよく覚えています。 また、正常な性的羞恥心ってなんだろうとも思ってしまいます。 「フェチズムはセーフなのかアウトなのか?それともグレーゾーンなのか?」 「ロリコンが問題とされているならば、何故同じ「コンプレックス」という名がついているブラコンやショタコンが問題にならないのか?」 「本当に幼女を襲う事件だけが原因?ロリコンだけ別なカテゴライズされているのではないだろうか?」 などなど、色々命題が思いついたりして思考がスパイラルに陥るのであまり触れたくない話題ですが、見てしまうと毎回思うわけです。 |
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「普通人」「正常」などの規範の認定は、結局、裁判官の主観によってきまるんですよね。
なぜ、そうしているのか、というと、立法府の構成員の主観、となるし。 そのへんを「科学」とか「客観的」とかいうのは変だとは思う。 具体的な事情についての先例の集積という意味から「学問」とはいえるかも。 判例をみれば、最高裁のご老人たちの性道徳意識を感じとることはできるような気もする。
2007-11-05 Mon 03:04 | URL | とおりすがり #mQop/nM.[ 内容変更]
こんにちは、とおりすがりさん
一度判例でこうゆうのが出てしまったら、また最高裁までいかないと覆すことができないんですよね…。とおりすがりさんがおっしゃることや感じているところは最もだと思います。 判例で似たような言葉では「社会的理念にのっとり〜」とか言われて、それは何だと思ってしまいますけど、結局は主観で決まってしまうところが悲しいところであり、仕方の無いことなのかなと思ってしまいます。 それでは、コメント有り難うございました。 |
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