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社会学の理論使ってヒナギク関係のことを述べてみる

 ちょうどいいと思って書いてみました。まあ、主にヒナギク関係ですよね。私もヒナギクスキーですが、アニメや原作見ていて、ちょっと最近おかしいんでない?と思ってた矢先にアンチヒナギクの記事や意見がちらほらと。もちろん、いくのさんの意見は必要な意見であるし、自分の視点から見えなかったことが見れて面白かったです。というか、ヒナギク好きが多い(?)界隈の中でよくぞ率先して書いたものだと感心しました。ですから消してしまったのをもったいなく感じています。
 ここでは、そのことについて自分なりの意見を社会学というツールを使っていきたいと思います。
 それは、ブログ運営者の戒斗としてではなく、一人の社会学をやる者(社会学は学ぶものではなく実際にやってみるものである)として書き記していくことになりますが、読む方はそこら辺はご了承してください。

「社会をあるがままに見よ。」

 社会学者のデュルケムの言葉です。


 社会的状況のもとでの行為は演技の要素を含む。行為者は同時に演技者(パフォーマー)であり、観客(オーディエンス)を意識した「印象の演出者」である。

 自己呈示のドラマツルギー(E・ゴッフマン)~命題コレクション社会学より~

 人は、日常生活において常に何かを演じているものである。社会の人で家庭を持っていれば父親であったり、奥さんから見れば旦那さんであったり、また、その人が会社に行けば上司であったりと一人の人間が演じているものは実に様々である。
 もう1つ具体的な例をあげるならば、私は、ゼミ生の○○、部活に行けば、後輩から見れば先輩で元副将の○○先輩、バイトに行けば、夜勤の○○さん、星の海へ行こう!の管理人の戒斗だったりと、それぞれ所属する社会によって役割を使い分け、演技(パフォーマンス)をしている。つまり演技者(パフォーマー)なのである。
 演技者(パフォーマー)は、観客(オーディエンス)を意識してその役割を演じているが、なにも演技者(パフォーマー)は特別な人がなるわけではない。演技者(パフォーマー)は観客(オーディエンス)でもあり、また、観客(オーディエンス)は演技者(パフォーマー)でもある。
 ではここで、演技(パフォーンス)の成功というのを軽く説明しよう。パフォーマーの演技が成功したとみなされるのは、パフォーマーの提示した情報をオーディエンスが信じた場合である。簡単に言えば、演技(パフォーンス)の成功というのは、観客(オーディエンス)に自分の演技を信じてもらえたかどうかである。
 例えば、自分は○○大学の出身者であることを人に知ってもらうために、その大学が何処にあるか、どんな教授がいて、どんな大学なのかということを説明する。そうして相手が自分が○○大学の出身者であると信じてもらえれば、それは演技(パフォーンス)の成功と見なす。つまり、パフォーマーの演技が成功したとみなされるのは、パフォーマーの提示した情報をオーディエンスが信じた場合ということである。逆に、自分が○○大学の出身者であることを信じてもらえなければ、それは演技(パフォーンス)の失敗となるわけである。


 以上のことを踏まえてこれからのことを読んでいただければ、多少はわかりやすくなると思います。以下からは本題です。


・アニメでヒナギクが前面で出されるパフォーマンス

 上で演技者(パフォーマー)と観客(オーディエンス)の話を軽くしたが、ここでパフォーマーを「ハヤテのごとく!」のアニメ製作者、オーディエンスを視聴者としてみてみよう。
 パフォーマーは、今作っている「ハヤテのごとく!」というアニメを存続させたい、または、打ち切りという事態を回避したいと考えて仕事をしているであろう。
 視聴率を維持、または上げるためには面白い話を作ったり、お色気シーンを挿入してみたり、特定のキャラクターを前面に出したりとその手段は様々である。「ハヤテのごとく!」というアニメを見ていると、特定のキャラクターを前面に出して視聴率を維持、または上げようとしている手法が見られる。ここでの特定のキャラクターというのは、言うまでも無く「桂ヒナギク」というキャラクターである。
 では、なぜこの「桂ヒナギク」というキャラクターが、前面に出されているのかというと、恐らくキャラクター人気投票での1位という順位もさることながら、他を圧倒しての投票数にあるのであろう。つまり、「ハヤテのごとく!」という番組を維持させるためには「桂ヒナギク」というキャラクターのファンを留めておくということが必要と考えているとも見えるが、ここでは「桂ヒナギク」というキャラクターをもっと出してほしいというオーディエンスの意向に沿ってパフォーマーはパフォーマンスしていると仮定していこう。


・パフォーマンスの失敗

 だが、ここで「桂ヒナギク」というキャラクターをもっと出してほしいというオーディエンスの意向を本当に汲み取っているのかといえば疑問である。メディア(ここでは普段私達が使うメディアだと思ってください)は、一部の意向を汲み取って、さもこれが世論だ、これが皆が知りたいことだ、これが皆が言いたいことだと情報を発信することがあるが(T○Sや朝○新聞などが特出である)、それがオーディエンスが望んでいるものであるとは限らない。私達がニュースやワイドショーなどを見て違和感を覚えるときは大抵これである。これらのことは「メディアの一人歩き」といえるだろうし、パフォーマンスの失敗とも言える。
 オーディエンスが、「桂ヒナギク」というキャラクターを望んでいるとパフォーマーが考えた場合、当然、オーディエンスが望む演技をパフォーマーが演じるのである。パフォーマーが演じるのは、「ハヤテのごとく!」という作品であるから、「桂ヒナギク」というキャラクターを登場させ、それを通して演じさせるのである。
 だが、不執拗な出番と登場、つまりパフォーマンスが重なれば、オーディエンスは不信感を持つものである。私も「桂ヒナギク」というキャラクターは好きであるが、喜びと共に「何でここで出てくるんだろう?」と思うことがある。オーディエンスを意識してパフォーマーは、パフォーマンスしているわけであるが、このようにオーディエンスに疑問を持たせてしまった、不信感を持たせてしまった場合、パフォーマンスの失敗となるわけである。
 もちろんパフォーマーが望んでいないのにキャラクターに嫌悪感を持たせてしまうのもパフォーマンスの失敗である。もちろん作品の流れ上や設定上、キャラクターが憎まれ役になる場合、「生理的にあの手のキャラクターは受け入れられない。」という場合もあるが、だが、それ以外の目的でキャラクターに嫌悪感を持たせてしまった場合は明らかにパフォーマンスの失敗なのである。


・キャラクターに嫌悪感を抱く

 これはどんなことにでも言えることだが、アニメや漫画に焦点を絞って書いていこう。パフォーマーは、キャラクターを通してパフォーマンス、つまり作品を進めていくわけであるが、ここで面白い現象が起こる。それは、キャラクター自体に嫌悪感を抱くということである。例えば、「あのキャラクターは空気が読めない。」、「あのキャラクターは好き勝手なことばっかりやっている。」、「何様のつもりだ。」などの意見は、もちろんわかった上で発言している人も多いだろうが、中には本当にキャラクターに向けて嫌悪感を発しているものもある。キャラクター自体が感情を向ける対象となるわけであるが、これは大変興味深いことでもある。
 何故ならば、キャラクターはパフォーマーにとっては、自分のパフォーマンスを構成する上での産物であるはずなのに、キャラクターがパフォーマーに向けられるのと同じ感情をオーディエンスから受けるのである。


 これは、つまりキャラクターを通して演技者(パフォーマー)が演技(パフォーマンス)していたはずだが、いつの間にかキャラクターが演技者(パフォーマー)となり、演技(パフォーマンス)をしていると見なされているという現象が起こるのである。


 もっとわかりやすく言えば、アニメ製作者は、キャラクターを動かして作品を作っていたが、いつの間にかキャラクターがアニメ製作者の手を離れ、キャラクター自身が作品を構成していると見なされるということである。

 キャラクターが登場している作品なのだから、当たり前といっては当たり前だが、キャラクターに好感を持ったり、嫌悪感を抱いたりするのはこの現象が起こるためである。これは作品が製作者の手を離れて独立しているともいえるが、「パフォーマーの入れ替わり」とも見ることが出来る。「パフォーマーの入れ替わり」とは、つまりのところキャラクター自身がパフォーマーとなり、パフォーマンスをしていると見なされているということである。

 「桂ヒナギク」というキャラクターが、アニメ製作者(パフォーマー)によって、前面に出されている(パフォーマンスしている)だけなのに、それによって視聴者(オーディエンス)から不信感や嫌悪感が「桂ヒナギク」というキャラクターに向けられているというシステムがこれであると考えられる。

 もちろんこれは、アニメ製作者(パフォーマー)が全て悪いというわけではない。パフォーマーはオーディエンスを意識してパフォーマンスをするのは当たり前の話なのである。当然、そのパフォーマンスの恩恵を受けている人たちも居るわけである。





 こうしてみると、キャラクターに対して感情を抱く原因が少なからず見えてくるのではないだろうか。もちろんこれが全てであるというわけではないが、少なくともこうした考え方もできるといったことを参考にしてもらえれば幸いである。
 もちろん私は、個人のキャラクターの好き嫌いについて踏み込むつもりはない。だが、人気投票で他のキャラクターが1位になっていた場合でも、アニメや原作でのヒナギクみたいな特別扱いが起こっていたのではないのではないだろうかと考え、以上のことを書き記した。可能性はどの作品、どのキャラクターにもあることなのではないだろうか。


次回があるのなら、今度はパフォーマーをサイト運営者、つまり書き手として、オーディエンスをサイト回覧者として書きたいと思う。



 以上、社会学をやる者としてのパフォーマーを演技(パフォーマンス)してみました。オーディエンスはここを読んでいるあなた達のことです。これを読んでわからない、理解できなかった、何言ってんのこいつetc、などの反応を示してしまったら、それは私のパフォーマンスの失敗ということです。
 いや、むしろそれだけでもわかっていただけたのなら、私にとってはパフォーマンスの成功といえるかもしれませんね。
 長々となってしまいましたが、最後まで読んでくださって有り難うございます。
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 オタクでも、武道や学問、スポーツが好きでもいいんじゃな~い。と考えてるとある商社の営業マン。今でもひっそりと合気道に打ち込む日々であります。

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