もうすぐ代替で副将という役柄から降りるわけですが、その前に色々と次の代に残していくことや、伝えてないことがまだまだ多いです。
今日はそんな中で、恐らく最大の懸案事項の一つに着手してみましたが、予測の範囲内であるとはいえ、ここまでひどいとは思いませんでした。
最大の懸案事項の一つとは、まあ言ってしまえばとある後輩の一人のことなのですが、前々から問題されていて、そのつど修正を図りましたがうまくいかずにずるずるときてしまいました。
何故、今私がこの問題に取り組んだかというと、今の代、つまり私や同期が部活を引退するに当たって、次の代になれば必然的にその後輩が部活の運営にかかわってくるということがあるからです。その後輩は同期が居ずに今まで一人でやってきたわけですから、順当に行けばその後輩が主将となるのでしょう。でも私はその後輩が主将になることには反対です。反対する理由はいくつかありますが、その中でも特に大きいのが、
私達が目指している合気道とその後輩が目指す合気道が全く違うということが理由です。
私達は一人の尊敬する先生に指導を受けています。私達が目指している合気道というのは、その先生の教えを生かして稽古と鍛錬を続けていくことです。
先生の教えを体現するのが私達の活動理念といってもいいでしょう。でなければ指導を受けている意味がありません。
ですが、その後輩が目指す合気道というのは全く違うようです。これは普段稽古をしているとき、先生に指導を受けているときもそうですが、全く先生の教えを生かしていないようです。勿論すぐに体現しろというのは無理な話です。ですが、先生の教えを受けて数年たっても変わらない所を見ると、本当に先生の稽古に出ているのかと疑問に思わざるを得ません。出来ないなりにも自分で考えて体得しようとしているならばその過程は見えてきます。ですが、その後輩からは見えてきません。これでは何のために先生が指導しているのか
今日はその後輩から色々と聞きだすことが出来たのですが、よくわかったことは、
初代主将をはじめ何人かの先輩を全否定しているだけではなく、むしろ先生でさえも否定しているところがあるのではないかということでした。その後輩が何人かの先輩を嫌っていることは知っていました。ですが、先生に対してもそれほど尊敬の念もなければ、特に思い入れはないということには驚きです。先生の下で合気道を続けていれば、先生の合気道の凄さ、合気道に対する姿勢に何らかの念は持つはずです。実際、私は先生から合気道のことは勿論のこと、人として学ぶところが非常に多く、将来この人のように振舞えたらなと思うと同時に尊敬の念を抱いています。
その後輩が目指す合気道とこれから合気道部をどうしたいのかということも聞いてみました。その後輩が目指す合気道部とは
1・部員が多い
2・
怪我をしない合気道をする3・
余計なしがらみをなくす それぞれ具体的な例を挙げてもらいましたが、特に2と3に関してが凄かった。まずは2について。
最初に思ったのは怪我をしない合気道とは何なのだろうかということです。これは合気道だけでなく、他の武道やスポーツ全般に言えることですが、動くということ、つまり、稽古したり練習したりすることは常に怪我のリスクを背負っているわけです。動くことを恐れていては稽古や練習になりませんし、試合にもなりません。私が怪我をしない合気道といわれて考えられたのは、部員一人一人のレベルにあった合気道をするということでした。
しかし、その後輩の話を聞いていて、それが全くの見当はずれだということを思い知りました。その後輩がいう怪我をしない合気道というのは、どうも
飛び受けや激しい受けをする技を一切排除するとういことのようです。正直、何のために受身を覚えるのかとか、そもそもそこまできたら合気道でもなんでもないではないかと思いました。
実際稽古をしていてそれらを嫌がっているところを見たことがあります。その後輩の1つ下が先生にちょっときつめに投げられて羽打ちが凄かったのですが、その子はきちんと受身を取っていました。しかしその後輩はその光景を見て凄く嫌そうというか、危ない&大丈夫?みたいな顔をしていました。私から見ても問題ない受身だったのにね。
また、教技(関節技)でも、相手を痛がらせちゃダメとかそんなに極めてはダメとかいうのも聞いたことがあります。教技は痛いものですが、それはきちんと極められているからであってで、また、極められていなければそれは教技でもなんでもありません。第一そんなことばかり気にしていては稽古になりません。教技は痛いものといいましたが、受身さえしっかりしていれば、痛みを和らげることが出来ますし、また、それは正しい受けを覚えることに必要不可欠なことなのです。その後輩は技の本質はおろか、稽古の意味さえ理解していないとそのときは本当に思いました。
もう3に関しては、
中学生高校生時代に戻って部活というのを体験してくるか、バイトでもなんでもいいから社会に出て色々学んで見てこいとしか言いようがない。余計なしがらみ?それがあるから部活というのは成り立っているんですよ。部活それ自体が理不尽な組織みたいなものなんですから。
しがらみ同士は相互作用しあっているものですから、そのしがらみをすべて解決したら部活というのがなくなってしまいますよ。
世の中にはね、白黒はっきりしていないことが多いんですよ。矛盾だらけなんですよ。白黒はっきりしていないグレーゾーンがあるからこそ裁判とかが起こったりするんですよ。それである種の線引きをしているわけです。世の中綺麗なものばかりだけにしようとしても成り立たなくなるんです。綺麗と汚いは表裏一体。両者があるからこそ世の中の理や物事が成り立っていくんです。
汚いことには目をそむけ、綺麗なものばかり見ていてもいずれその部分も見なければならない。いい年なんだからいい加減メルヘンな世界から脱却して現実を見てほしい。
もはや何を言っているのか自分でもわからなくなってきた。それぐらい色々なことが今日起こりました。心労がほんと絶えなくなってきた…。
オブラードに包んでもダメ。ストレートにいっても話は聞かない&通じない。社会学的用語を使えばメタレベルで物事を考えられない。考えが画一的。
どうしてうちの合気道部に在籍している&在籍し続けているのか本当にわからない…!
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いや、全く持ってそのとおりです。
最近でも、私達の先生が同じ事を言っていたのですが、そこら辺の考えはやはり上の人達でも同じですね。積み重ねてきた年数があるので余慶に説得力がありました。
稽古を積み重ねていけば、自ずとこの考えにいたると思っていたんですが、どうもそうでもない人がいるということもわかってしまいました。特殊な事例だと信じたいというのが本音ですね。
いや、返信遅れてしみませんでした。