
清明の反魂の術を完全なものとするために彼の願いを聞き入れる羽衣狐。彼と接しているときの羽衣狐は、子を愛する母親そのもの。今までの羽衣狐様からは想像できないものです。やっくでかるちゃーです。こっちからちょっかいを出すことなく、このままひっそりと暮らさせていれば人に仇をなすことはないように思えますが…
討伐隊(ハンターたち)に狩られてしまうわけです。 不老不死の噂を聞きつけた頼道の配下に命を狙われた羽衣狐。この事例では先に手を出したのは人間サイドよ。
現代ではお狐様は圧倒的な強さを誇る大妖怪として描かれているだけに、頼道の配下の討伐隊にあっちゅーまに狩られてしまったことにいささか拍子抜けしてしまったわけですが、このときの羽衣狐は九尾の狐ではなく、さして力のない単なる化け狐でしかなかったのでは。
羽衣狐は、人を依代としてその世に生きる「転生妖怪」とされていますが、そのあり方はいささか差異が見られますが清明が述べる「反魂の術」そのもの。もしかしたら、羽衣狐はこの「反魂の術」によって「転生妖怪」と称される能力を手に入れたのかもしれませんね。
でも既にお狐様は、「羽衣」狐と呼ばれているのであまりこの推測は自身がありません。
理念云々ではなく母親への愛が根底だったのですよ。 妖怪の領域に平然と踏み込む人に絶望した清明は、人と妖怪の「共生」というの理念から、妖怪が人を「支配」するという理念へと変わってしまった。そしてそのために秩序ある世界に君臨する闇の主として復活することを決意する。
だが、ちょっと待ってほしい。清明が述べていた人と妖怪の共生の世界ですが、その秩序を守るのであれば、人も妖怪も等しく扱い、また逸脱するものは人も妖怪も等しく裁かなければならなかったはずです。頼道が行ったような人が妖怪の領域を不必要に侵すこともあれば、土蜘蛛や酒呑童子のように妖怪が人の領域を不必要に侵すこともあるわけです。
秩序を維持していくのであれば、今回のような事件は人と妖怪双方に起こりえるわけであり、清明は自分の母親が犠牲になったことによって秩序を維持していく上での闇の部分を目の辺りor実感したわけです。しかし、この事件によって彼が一方(妖怪)に傾斜してしまったところを見ると、清明には何処かで自分の身には不幸が降りかかることはないとみなしていた部分があったのかもしれませんね。
秩序だ共生だといった理念はすばらしいですが、それを維持するには何処かで犠牲となる部分が出てくるわけです。身内が犠牲になったとはいえど、「共生」の理念を捨てて魔道に堕ちてしまった清明をみていると、彼が初期に抱いていた理念は驕りからきていたのかなぁと思ってしまうわけでした。
そうはいえど、人は絶望を味わったら考えが極端になるものだから仕方がないことですけどね。かく言う私も冷静に書いているわけですが、それは当事者ではないからといことに他ならないわけですよん。

清明の一番近くで見ていた鬼童丸だからこそ、リクオに投げかける言葉に重みがある。だが、初期の清明が語った「共生」の理念に賛同するわけでもなく、異議を唱えるわけでもなかった彼が「支配」という理念に賛同しているのもなんだか変な印象を受けます…。清明が鵺とならずに「共生」を求めていたら彼はどうしていたんでしょうね?
なんともいえないお話でした…。
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