アニメ化や漫画化が決定し、ここら辺でポリフォニカのおさらいをしてみようと思い、持っていた1話&2話BOXエディションを改めて読み返してみる。ライトノベルをパソコンで読むと言う発想は面白いなと思ったのが率直な感想です。
主人公のフォロンが何故神曲楽士を目指しているのか、また、何故神曲を奏でようとしているのか。クリムゾン・シリーズで端的に語られるだけではわからない神曲楽士としてのフォロンと一人のタタラ・フォロンという人間の原点がここにある。
主要キャラクターはフルボイスのため、各キャラとのやり取りがより際立っている。フォロンをめぐって、コーティカルテとペルセルテのやり取りするさまや、フォロンを独占しようとするコーティカルテの我が侭っぷりがいい。フォロンの何気ない言葉によって時々見せるコーティカルテの恥ずかしがる姿などなんともいえない。
トルバス神曲学院時代のフォロンを見ているとイライラしてくるのは、彼がまだ成長段階であるから。学生時代のフォロンは、明確な目標を定められてはいないし、自分に自信がもてていない(クリムゾン・シリーズでもそうだが)、ひどく頼りなさがあり、危うい感じではあるが、一度自分で目標を定めてしまえば、それをやり遂げてしまう強い意志が確かに存在している。
フォロン自身は、自分はたいしたことないとは思っていても、コーティカルテや彼の友人であるレンバルト、先輩であるユフィンリー、彼を慕うペルセルテやプリネシカなど、彼を取り巻く人たちはフォロンを理解し、少なからず彼に影響を受けている。フォロンの人の接し方や、思いやり、彼の紡ぐ神曲は精霊だけではなく人の心を動かすだけの何かが存在している。
フォロンと彼らの関係は、どちらかが一方的に依存するという関係ではない。それはフォロンの精霊の捉え方もこの関係でみてとれる。精霊は道具でもなく従属させるものでもなく、人のよき隣人orパートナーとフォロンは考えている。神曲についても他の神曲学士とは少し考え方が違っているように思える。たしかに神曲は、精霊を使役したり従えたりするものではあるが、フォロンにとってそれだけでなく、神曲とは、相手との会話であり、心を通わすために言葉にできない自分の感情を音に乗せて伝えるためのひとつの情報媒体手段なのではないだろうか。それは神曲の真理を反映しているといえるかもしれない。
今時のなんでもできる万能主人公とは違って、色々とあがきながら成長していく姿は、最近忘れていた「何か」を思い出させてくれる。その「何か」は一人一人違うことではあるが、より多くの人にそれを感じ取ってもらいたいなと考えたり。
ここら辺でクリムゾン・シリーズも読み返してみようか
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