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2006-03-10 Fri 23:16
この時期になると卒業を迎える学生が多く、街中では卒業証書を片手に友人と楽しく談笑する姿を見ることがあります。非常に喜ばしいことなのですが、ここ数年、卒業シーズンになるとよく聞くお話があります。卒業式における君が代斉唱に関する問題です。
「君が代斉唱の強制について抗議する」「子供たちの心情に配慮して卒業式で歌わなくてもいいようにしてほしい」等という考えの元、一部の生徒や教師のあまりに行き過ぎた行動により、この式典が台無しにされてしまうことは非常に残念なことです。 国歌を歌う歌わない対してとやかく言うつもりはありません。そんなのは個人の自由ですし、さまざまな意見を持つことも抗議することも悪いことではありません。ただ、卒業式を妨害する行為に対しては疑問を感じえません。 卒業式は、生徒が母校を離れて新しい世界へ旅立つための式典です。当然、主役は生徒ではありますが、主役だけでは卒業式は成り立ちません。卒業式は生徒だけで行うものではなく、他の生徒や先生方、来賓の方々や御両親が一緒になって行うものです。ですから、ある程度は相手に合わせることが必要です。 歌いたくなくても、秩序を保つために最低限起立はするべきでしょう。全体主義的だとか言われる方もいるかもしれませんが、そういった協調が求められる場において、一個人の主義主張や行動を前面に押し出すことが、どれほど逸脱な行動であるか考えたことがあるのでしょうか。 式の最中に、壇上で会場に向かって抗議したり、その場で校長先生に意見を言う人もいるそうです。中には、「言ってやったorやってやった」という達成感や満足感を持つ人もいるかもしれません。しかし、そのような行為によって、式が台無しにされてしまったと思う生徒もたしかにいるはずです。その人たちのことを考えたことがあるのでしょうか。君が代斉唱で内心の自由や心情が侵害されたと聞きますが、逆に言えばこのような行為によってほかの人の内心の自由や心情が侵害されたとも言えることもできるはずです。 自分の主張や考えを声に出して外に発するということは重要なことですが、時と場合を考えないと人には迷惑ととられてしまいます。さらには自分だけでなく、友人や出席してくれた御両親に恥をかかせることにもなりかねません。 このような行為は、教師の方々にも当てはまります。先生方にとっては、卒業式は毎年出席している行事なのでしょうが、卒業する生徒にとっては母校で行うただ一回だけの卒業式のはずです。それなのに、「国歌斉唱が強制であるから着席して抗議する」という行いは、本来、生徒の見本となって作法や礼儀について教えなければならない教師が、心情を免罪符として職務を放棄しているだけではないのでしょうか。厳しい意見を言わせてもらえば、子供が屁理屈をこねているようにしか見えません。卒業生にとって大事な式を、そのような一部の教師の行いによって台無しにしてしまっているという事実についてどうお考えなのでしょうか。 さらに、卒業式等で、国歌を歌うことが強制であるというならば、何故同様に校歌斉唱が学校側の強制だと文句を言わないのでしょうか。 基本的なルールが押し付けだというなら、校則も押し付け、受験も押し付け、義務教育も押し付け、はたまたは社会のルールも押し付けであるという理論も成り立ってしまいます。そもそも、卒業式でこのような当たり前のルールが守れないからこそ処分が下されているのでしょう。どんな社会でもルールから逸脱したものは罰が与えられるのは当たり前のことです。そうでなければ集団の秩序が保てなくなります。処罰が厳しいという意見も聞きますが、厳しくせざるを得ない理由を与えているのは他ならない行為者自身です。 内心の自由や心情も大事なことですが、本来、卒業式は秩序が求められているはずです。その秩序を壊してまで主張する必要性が、はたして卒業式の最中にまであるのでしょうか。 私には疑問を通り越して、何か異質なものでさえ感じられます。 |
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